もうすぐ、ウチの子供の高校で学園祭がある。
もちろん主役は子供たちなのだけど、PTA役員にも少しだけ仕事がある。
それが、「休憩室」の運営と、校内パトロールの2つだ。
PTAには会議室という名の空き教室をあてがわれる。そこで休憩室を運営するのが古くからの伝統のようだ。
会議室の机をカフェ風に並べて、かわいいテーブルクロスなんか掛けたりして、来校者の方たちが座って休めるように椅子も用意して、お茶をお出しすることになっている。
温かいコーヒーか紅茶、冷たいお茶なんかを、来室したお客さんのご希望を伺って紙コップでお出しする。
会場の設営からお茶出しその他接客対応、後片付けがわたしたちの仕事ということになる。
1時間1コマとして区切って、1コマ4~5人ぐらいで担当する。
もうひとつ、校内パトロールは学校の教員1名とPTA役員1名がペアを組んで1時間に1回校内を隅々まで見て回る仕事だ。立ち入り禁止の場所に入っている生徒や来校者がいないか、破損箇所などないか、あらかじめ定められた巡回ルートに従って歩いてまわる。
狭い学校なので、そちらはせいぜい20分ぐらいで終わる。基本、先生にくっついて歩くだけなので、何のために親が必要なのか微妙なのだが、おそらく「親も見てるよ」というメッセージが必要なのだろうと思う。
休憩室担当・校内パトロール担当をそれぞれ1時間ごとに区切って1コマとしてシフトを組むと、だいたい全員2~3コマずつ稼働する計算になる。その辺のシフト割りなんかは、個人の大体の都合をヒアリングした上で会長と一部の幹部が決めてくれるので一般役員はノータッチだ。
さて。
40名ほどいる役員のうちほとんどが女性(母親)なのだが、ほんの数名だけ男性(父親)もいる。
幹部が決めたシフト表を見ると、男性が割り当てられるのはパトロールのみで、休憩室のシフトには組み入れられていない。かといって、男性だけでパトロールが全部カバーできるわけではないので、パトロールを女性が担当することもある。
それが、毎年そうなんだよね。
去年、シフト決めを担当されてた前会長がはっきりと「男性にお茶出しなんかさせたら悪いじゃない」とおっしゃってたのを覚えている。そして、今年の会長もそのやり方を当たり前に踏襲された。(前会長も、現会長も女性だ。会長は代々女性が引き受けている。女性が強い組織なのだ)
おそらく、ずっとずっとそうやって引き継がれてきているのだろう。
まあ、普通に考えて、4〜5人のグループに男性が1人ポツンと混ざるよりは女性だけでやった方が気楽だよねと考える人の方が多いかもしれない。ひょっとしたら、男性と同じグループにされたらやりづらいと考える女性も多いかもしれない。
でもね。
この令和の時代にですよ。高校生の前で、親たちが堂々と、「お茶出しは女の仕事だ」とばかりに固定化された性役割を強化するような振る舞いをするのはいかがなものか、と思ってしまう。
とても個人的な気持ちだけど、なんか、モヤモヤしてしまうのだ。
お父さんだってお茶出しすればいいじゃない。
そういう姿を高校生が見る機会を持つのもなかなか素敵なんじゃないのかなあって思ったりして。
実は来年わたしはこのシフトを決める幹部に就任する予定になっている。
わたしも同じように男性をお茶出しから排除する選択をしなければならないのだろうか。
「男性にお茶出しをさせるのは申し訳ない」
という言葉は、男尊女卑のようだけど、裏には「(お茶出しの場面では)男性は使えないからクビを突っ込まないで欲しい」という逆の意図が隠れている。
これまでの人生経験を踏まえて、40代~50代の女性にとっては、こういうフィールドにおいて男性は全然「使えない」存在だという先入観が強い。
(言わなきゃやらないし、言ってもやれないくせに、なんか口ばっか偉そうだったりして。嫌な思いしてる人多いんですよ)
そういう方たちを、尊敬するかのような言い方で体よく排除するっていうのは昔から女性がよくやる手法だったりするよね。
だけど、そういう先入観みたいなのを打ち破っていかないと、いつまで経っても「お茶出しは女の仕事」っていう固定観念はなくならないんじゃないかな。
その辺のところ、どうなんでしょうね。
とはいえ、そもそも文化祭のお手伝いなんて何の見返りもなく、100%好意で成り立ってるものなんだから、わたしがポリコレ的正義感を振りかざし、役員全体煩わしい思いを押しつけてまで「男女平等」的なものを実現しなければならないとは思わない。
おそらく、余計なトラブルを起こさずつつがなく過ごすためには、しれっとこれまでのやり方を踏襲するのが一番良いのだろうな、と思う。
そういうことだから、きっと、世の中ってなかなか変わらないんだろうなって思う。
難しいよね。