世の中には、自分の利き手が右なのか左なのか、割とハッキリ自覚されている方のほうが多いでしょうか。
先日(といってももうだいぶ前になってしまいましたが)こういう漫画が話題になっていて、わたしは大変興味をそそられました。
わたしも自分の利き手がわからないタイプの人間なのです。
クロスドミナンス(cross-dominance)とは、箸は左手で使うが、筆記は右手でおこなうなど、用途によって使い勝手のいい手が違うことを指す。日本語では「交差利き」「分け利き」などと呼ばれることがあるが定着はしておらず、英語でそのまま呼ばれることのほうが多い。
用途によって使いやすい手が違うだけなので、両利きとは異なる。
先天的に左利きであった者が、右利きに矯正された、という例が2010年代の日本では(以前の時代の矯正の現状などから)多いと思われるが、他にも原因はさまざまである。
駅の改札やパソコンのマウスなど、世の中には右利きの人を念頭に設計されているものが多い。それらは左利きの人には利用しづらいが、かといって利用しないわけにはいかないものも存在する。そのような状況下で、しかたなく慣れない右手で利用し続けているうちに、だんだんと熟達し、ある特定の対象には、右手での利用の方が得意になっていくことがある。これもクロスドミナンスとなる例の一つである。
Wikipediaにも短く触れられているようなので、まるっと引用してみました。
用途によって使いやすい手が変わる、というのがわたしにもとてもよく当てはまります。
といっても、わたしは基本的に右利きで生活しています。筆記用具や食事、調理に使う道具のほぼすべては右手で使います。PCのマウスも右ですね。
なんというか「手の機能を拡張するスティック状の道具」という括りのものは大抵右で使うのがしっくりくるという感じです。
では、どういうことが左利きなのかというと、主に素手で行う原始的な作業です。
人にやり方を教わるまでもなく勝手に手を使って行うようになった作業は、意識して観察してみるとかなり強めの左利きだなあという自覚があります。
こういったことは、小さい頃に左利きを右利きへ矯正された人によくある性質だと言われているようですが、真偽のほどは不明です。
確かにわたしは小さい頃、鉛筆やスプーンなどを自然に左に持ってしまっていたそうです。
当時はそういうものを左で持つのは「お行儀が悪い」とされており、極力右利きに矯正される時代でした。なので、わたしの場合もその都度、親が「逆だよ~」と指摘して持ち替えさせていたそうです。
小さかったわたしはその際にそれほど嫌がったり抵抗したりすることなく、持ち替えても作業が格段に下手になってしまったりすることもなかったので、親はわたしをスムーズに右利きへと誘導することができたとのことでした。
これは、人の言うこと・指示はわりとよく聞く「おりこうさん」的性格によるところが大きいのかなあと思います。
おかげさまで、筆記用具や刃物、食事や調理に使う道具類はすべて右手で使うことが出来ます。これはきっと、左利きのまま生きているより苦労が少なかったことと思います。
都合良く矯正してもらえたことはある種ラッキーだったと言えるかもしれません。
わたしが左手でやってしまう作業
- レトルトの袋を手で切って開ける→中身が入っている袋の部分を右手で持って、左手で上部を切り取ります
- 食品ラップを切る→本体を右手で持って左手でラップの端を引き出します
- 瓶の蓋を開ける→本体を右手で持って左手で蓋の部分を持って回します(これはペットボトルでもジャムの瓶などでも同じ)
- バナナやみかんの皮をむく→果物本体を右手で持って左手を動かして皮をむきます
- 牛乳パックを開ける→両手でガッと左右に開いた後、つまんで菱形にするのって、そもそも難しいですよね。あの、菱形にする決定的な場面でわたしは左手を使います
- 缶詰を開ける→缶本体を右手で持って、左手でプルタブを引きます
- レジでお会計→財布を右手で持って、左手でお金やカードを取り出します
- カバンの中の捜し物→カバンを右手で押さえて、左手で中身をごそごそします
最近はこんな風に、レトルトの開け口には親切にどちらから開けてもいいように表示がされるようになりました。
昔は左側にしか切り込みがない食品も多かったのです。
ま、裏からやればいいので別にいいんですけど。
こういう箱も、当然わたしは左手の親指を箱にブスッとさしこむスタイルで開封するわけですが、「開け口」という表示のところをきちっと狙いたい場合は箱の印字は逆さまにして持たなければなりません。
もしくは、一応左側にもミシン目が入っているのでそちらを使っても良いということです。
最近指摘されて面白かったのは、ソフトクリームマシンを使う時です。
ファストフード店で働くようになって、40過ぎて初めてソフトクリームを作ったのですが、「さあやってみましょう」と言われてマシンの前に立ったとき、身体が勝手に右手にコーンを持って左手でマシンのレバーを下に下げてました。
そのとき、教えてくれてた人に「えっ、逆じゃない??」って言われたのです。
「左利きなの?」って聞かれましたが、「うーん、どうなんだろう……」としか答えられませんでした。
「もし右利きならコーンとレバーは逆にした方が良い」と勧められましたが、やはり最初に持った「右コーン・左レバー」の形がしっくりくるので、結局左利きの構えで練習することになり、そのまま現在に至るという形です。
スポーツが苦手すぎる件と利き手がわからない問題の関係 (仮説)
問題は、スポーツです。
ボールを右で投げるか左で投げるか。
実はわたしはボール投げが死ぬほど苦手で、ドッジボールでは自分の陣地から味方のいる外野へノーバウンドで届かせる事が一度も出来ませんでした。
一応ボールは右手で投げるように教わったのでそうしてきましたが、ここまでの例で考えると、本当にボール投げの利き手は右なのかというと微妙な気がします。
ボール投げに苦しんでいた学校時代は自分が左利きかもしれないなんて思いも寄らなかったので、左手で投げてみることもありませんでしたが、ひょっとしたら左手で練習した方が上手になったかもしれません。
テニスを少しだけ習ったことがあるのですが、「手の機能を拡張するスティック状の道具」という認識により、ラケットは右で持ちました。
全然上手くなりませんでした。
でも、左だったら上手くなったかもとも思いませんが。
利き手以外の要素が強すぎて……w
とはいえ、今後万が一何かのスポーツを始めなければならない必要に迫られた場合は左利きかもしれないという前提に立ってアプローチしてみるのも良いかもしれません。
ちなみに、バッターボックスに立つ自分をぼんやり夢想するとき、わたしは左のバッターボックスに立ってます。
んっ? 一塁に近い方が左打者ですよね? 合ってる?
左利き診断ではわからない潜在的左利き
こちらのサイトでは「自分自身や我が子の利き手を知りたい」という人のために、3種類の左利き診断テストが紹介されています。
が、どのテストをやってもわたしはガチの右利きと診断されてしまいます。
主に左利き用の道具を用意してやる必要があるかどうかを診断するテストなのでこれはある意味正確なテストではあるかと思います。
ただ、このテストで「右利き」と出たからといって完全に自分が右利きかどうかはわからないということです。
まとめ
こうして考えて見ると、わたしの場合クロスドミナンスともまた違う気がします。
本質は左利きで、だけれども右利き向けに開発された道具を素直に受け入れて使う練習をして社会に馴染んでいる人、というのが正しいのかもしれません。
こういう人は、わたし以外にも案外たくさん存在しているのではないでしょうか。
わたし自身、時々わけのわからない自分の不器用さで悩んでしまうことがあるのですが、そのときに「利き手」の概念をちょっと思い出してみると、少し解決の糸口が見えてくることがあるかもしれません。
「自分は右利きだ」と思い込んで生きている人も、一度立ち止まって利き手について考えて見ると新しい発見があるかもしれませんね。