あてもなく

誰かへの手紙

「働きたい、頑張りたい」だったわたしが最近そうでもなくなった理由(3)

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結論らしき物

前回の記事、最後に「まだ続きそうです」と書いてしまいましたが、続きを書くに当たって読み返してみたところ、表題にある「理由」については大体書ききれているような気がしました。

一応まとめると、 

わたしは働くことで世間から「役に立つ人間だ」と認められるために頑張って働こうとしていたわけですが、そもそもわたしを役立たずと決めてくるような「世間」なんてなくて、ただ単にそれは自分の劣等感が生み出したお化けみたいなものであったことがわかりました。

また、実際にはわたしのやるべき事は外で働く時間ではなく家族のために過ごしている時間の中にあって、そのやるべき事は今まで通りでもかなり満足なレベルでできていて、十分自分は役に立っていたのに、それに気がつかずに焦ってばかりいたことにも気がつきました。

だから、わたしはもうそんなに外で頑張って働くことにこだわる必要がなくなったのです。

それが、「働きたい、頑張りたい」だったわたしが最近そうでもなくなった理由です。

週2回・4時間勤務に戻ったわたし

さて、事務パートをやめてファストフードのアルバイト1本に戻り、まもなく2ヶ月が過ぎようとしています。

友人と食事などに行くと、こないだひどい目に遭ってパートを辞めた経緯を面白おかしく話したりするのですが、そこで必ず言われるのが、

「きっとまた良い仕事見つかるよ」

という言葉です。ありがたい励ましの言葉。

そんなとき、わたしは普通に「そうだねー」と受け流すのですが、実際のところ、もう仕事を探すつもりはありません。

 

とはいえ、何もしないのはヒマなので、ファストフードのバイトは続けています。

あまり忙しくすると、仕事がない日にやろうと思っていた家事さえ後回しにして身体を休めたくなってしまうので、仕事は元気を保てる最低限に抑えることにして、週2回・4時間だけの勤務です。

バイトでは相変わらず、トレーニングやスキルチェックを受ける機会は与えられませんが、働き始めた当初のようにどんどん仕事を覚えて偉くなりたいという気持ちもありませんから、穏やかな気持ちでのんびりと働いています。

名札に、スキルチェックに合格した証のシールが1枚も貼られていなくても、コツコツ働いていれば仲間たちに顔を覚えてもらえるし、それなりに親しみを感じてもらえるようにもなります。

時々、子供が熱を出した人のシフトを代わってあげたりすると、役に立てた感じがしてうれしいです。

「働くと世界が広がる」のホントとウソ

仕事を減らしたら、家事を全部やってもまだ本を読んだりゲームをしたりドラマを見たりする時間が残るようになりました。ブログも書けるようになったしイラストも描けます。

そして、わたしはとても自由な気持ちになりました。世界が広がったように感じました。

 

働いたことがなかった頃は「働きに出ていない自分はとても世界が狭い」と思っていました。視野を広げるために、主婦も働きに出るべきだ、と。

実際に外で働いてみると、確かに新しい仲間との出会いがあったり、知らなかった業界の仕組みがわかったり、世界が広がる一面はあります。

でも、働き始めた当初はいっぺんに世界が広がったように見えても、日々関わるのはせいぜい数人の限られたメンバーと限られた業務だけであることがわかってきます。それは、どんなに巨大な組織に入ったとしても同じです。

(全国で6万人前後の職員を抱える日本政府の○○省に籍を置いても、末端の支局のパートなら日々関わるのはせいぜい5人程度の班のメンバーだけです)

一方で、仕事に時間を取られるようになると、読書など自分なりのインプットの時間が真っ先に犠牲になっていきます。また、友人など個人的につながりのある人たちと交流する機会も減ります。家族との時間も減ります。

この犠牲と差し引きすると、結局「働いたってそんなに世界広がってなくない?」って感じがしてしまうのですよ。

自分の関係者と呼べる人々の延べ人数は確かに増えるかもしれませんが、現時点で切り取って見てみると、自分の世界はそれほど広がっていないのです。

おわりに

というわけで、今は「働きたい」となかば強迫的に思っていた頃よりずっと自由な気持ちで過ごせています。

仕事に行かない分、もう少し文章を書いたり、イラストの練習をしたりする時間を増やして行けたらと思いますが、これも義務にならないように楽しく続けていきたいと思います。