あてもなく

誰かへの手紙

腰痛を治すということ 腰痛が治らない原因は心の中にあったのかもしれない

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連休だというのに風邪をひきました。

大した熱も出ないけれど、全身の倦怠感と喉の痛みが主な症状です。

ちょうど令和になった日からこの調子です。元々何の予定もなかったので、ずっと休んでいます。

起きているとしんどいのでだいたい横になっていたのですが、ある程度睡眠が足りてくると、眠れなくもなってきます。そして、ただ横になっていると今度は腰が痛いんですね。

それで、退屈しのぎと腰痛改善の両方をかなえるため、腰痛が治る秘訣が書いてあるような本を探して読むことにしました。

あれこれ検索して、自分が好きそうな方向性で書かれているような気がしたこの本を選びました。

Kindle版だと756円です。

 


人生を変える幸せの腰痛学校 ―心をワクワクさせるとカラダの痛みは消える

 

この本。

結果から言うと、劇的に腰痛が改善する秘訣が書いてあるような本ではありませんでした。でも、考え方が変わったので読んで良かったなあと思います。

要約

この本は、腰痛が治る具体的な体操の方法だとか、根本的な原因を取り除くための治療法について書かれた本ではありません。「認知行動療法」という新しい腰痛治療プログラムを通じて、腰痛患者の人々が回復する様を描いた小説です。小説、つまりフィクションですね。

ちょっと変な本かもしれませんが、

「1日3分で痛みが消える腰痛改善ストレッチ」

「からだのどこかを毎日揉むだけで全身の痛いところが全部良くなる」

みたいなタイトルにだまされ続けてきたわたしにとっては逆に魅力的に思えました。

 

「認知行動療法」というと難しいのですが、この本が言いたいことをちょっと雑にまとめると、

 

腰痛が治らないのは、あなたの”思い込み”のせいです。

長年持ち続けた間違った知識を手放し、思い込みを捨て、腰痛を手放しましょう。

 

という風になります。

こんなに本気で痛くてつらくて、日々逃れたくてしょうがないと思っているこの痛みが、実は自分の思い込みで自ら抱え込んでいるものなのだ、という考え方はちょっと信じがたいものではありますが、今までになかったアプローチに多少ワクワクするような気持ちにもなりました。

 

過去に、精神的な悩みを同じような方法で乗り越えた事がありました。

 


嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

有名な本ですね。

実は「人生を変える幸せの腰痛学校」にも「アドラー」の名前が出てきます。

心の苦しさも身体の苦しさも、ネガティブな存在ではありますが、その人自身が何らかの目的で必要とし、自ら抱え込んでしまうことがあるということ。

そういう考え方で痛みや苦しみにアプローチしようとする手法が、わたしは結構好きなのかもしれません。

本当にその痛みは「気のせい」なのか

この方法で痛みにアプローチする前に、まず大前提として確認しておく必要があるのがこのことです。実際に何かの病気で腰が痛い場合は「気のせい」ではなく投薬など治療が必要だからです。

ただ、椎間板ヘルニアにしろ脊柱管狭窄、坐骨神経痛などいろんな病名はさておき、病院にもかかり、いろんなところで長いこと治療したりなんやかんやで腰痛修行を散々積んだにもかかわらず腰痛持ちな人は、ざっくり言って大体みんなこの考え方で進んで大丈夫そうだと思います。

腰痛修行の足りている人

たとえばそれはわたしのことでしょう。

わたしが腰痛に悩み始めてから、かれこれ10年近くが過ぎようとしています。

その間、整形外科は3軒ほど。整骨院や接骨院、整体サロンなどいろんなところに通いましたが、結局腰痛は治っていません。

治療のかたわら、ギックリ腰は4回ほどやりました。

たくさんの先生にかかったとはいえ「ドクターショッピング」と言われると少し語弊があるかなあ。それなりにどの先生も信頼しようと思って一生懸命話を聞いてそれなりの期間通ったつもりです。

中でも、一番相性の良かった整体サロンには4年ぐらい通い詰めました。

1回7000円の施術に、大体毎月1回のペースで通いました。

年12回で4年ですから、単純計算で、総額336,000円も支払ったことになります。

それだけ通ったのは、もちろんそれなりの効果を感じていたからです。ですが、あるとき効果に頭打ちを感じました。

これ以上は良くならない。ていうか、良くなったと思っても結局時々めちゃくちゃ痛くなる日もあるし、ギックリ腰になることもある。

疑念を持ち始めた途端、毎回施術直後に感じていた「すっきり感」すら全く感じられなくなりました。

今はその整体サロン通いは辞めました。

 

この現象は、本書に書かれている「プラシーボ効果」に当てはまるような気がするのです。良い先生に良い施術を受けていると思っているウチは、本当に痛みは軽減するし効果は本物なのですが、ちょっとでも疑いを持ち始めた途端、施術が全く効かなくなってしまったのです。

プラシーボだから意味がなかったということではなく、4年間安心感を持って過ごせた効果はあったと思います。高いか安いかは微妙かな。完治したら安い物だけど、結局完治には至らずその場限りの出費だったので…。

痛みを自分から抱え込んでいる

最後の特大ギックリ腰を起こした時、わたしは仕事を辞めるかどうかで悩んでいました。自分の中で「辞める」という結論はハッキリ出ているにもかかわらず、肝心なところで迷って最終的な行動に踏み切れないままもたもたしていました。その背中を強く押したのがギックリ腰だったのです。

今考えると、あの特大ギックリ腰は、わたしが心の奥底で強く欲して引き起こしたギックリ腰だったのではないかと思えて仕方ないのです。

であれば、やはり日頃から感じている鈍い痛みも、表層では治したいどうにかしたいものであっても、心のどこかに腰痛を手放すのを拒むような動きがあるのではないか、という風に思えました。

といっても、具体的に「なんのために」と考えたり、心の中でその原因を解消しようとすることはあまり意味がなくて、それよりも、日頃から「痛いかな、どうかな」と思って痛い部分に神経を集中しながら身体を動かしてみるような行動を避けることが大事なようです。

痛みを確認する行動そのものが痛みを手放すことの妨げになっているので、まずはきちんと意識してそれを避けるようにする必要がある、ということです。

痛みに意識を集中させると、脳の痛みを感じる部分が活性化し、ますます痛みを感じる神経が興奮します。よって痛みが増す、消えない、という悪循環が起きる。だから、毎日いつも痛いし、治らない。

でも、もしその悪循環を断ち切ることが出来れば、長い間痛みを忘れて過ごすことが出来るかもしれない。

 

そう意識して過ごしてみると、これが思った以上にクセになっているようで、わたしなんか、四六時中隙あらば「痛いかな、どうかな」ってやってるんですね。

つまり、わたしは相当に腰痛にご執心ということです。この理論が正しければ、そりゃ治らへんわなーという結論になるのかなと思います。

 

このように肉体的物理的な意味での「痛みの原因」ではなく、本人の「認知」や「行動」に働きかけ、それを変化させることによって治療を試みる手法のことを「認知行動療法」というそうです。

 

ちょっと長くなりましたが。

長いこと腰痛に苦しんでいる人の参考になれば。そして、わたしもこの方法で痛みを手放すことができたらいいなと思います。