あてもなく

誰かへの手紙

生きていく上で大切なのは、社会との接点 地震を通じて思ったこと

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今週は、週明けに大阪で地震がありました。

わたしの実家も大阪ですので心配しましたが、おかげさまでわたしの親族には直接的な被害はありませんでした。

被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。

 

地震があった日に、実家の方には一応安否確認の連絡はしたのですが、そのときに母がかなり不安そうな様子でもあったので、今日も改めて様子伺いの電話をしてみました。普段は用事があるときか、月1回ぐらいしか電話しないんですけどね。

様子を聞いたところ、気持ちの方もだんだん落ち着いてきたとのことでそれは良かったのですが、母が通っているスポーツジムの建物に少し被害があったそうで、点検および補修のために休業してしまっているとのこと。

母は基本的にジムの定休日以外毎日通っていたそうで、それがなくなってしまったため「調子が狂う」と。

その「調子が狂う」というのは身体的な話かなあと思ったら、「家族(今は父と二人暮らしなので、つまり父のことですが)以外の人と全く話さない日々を過ごしているとだんだん気持ちが滅入ってくる」という精神的な面での問題でした。

どうやら、今の母にとってスポーツジムは健康維持の場でありながら、同時に社会との大事な接点でもあるのですね。

 

わたしももう家を出て20年だし、離れたときまだ20代の初めだったので、そういえば、母がどんな気持ちで自分の人生を捉えているのかみたいなことを身近に考えたことはありませんでした。

母は結婚してからかれこれ40年以上ずっと専業主婦でした。

専業主婦は「家族以外の誰とも話さない」「家のほかに居場所がない」のが当たり前。そして、わたしの母はそれが苦にならない人だから何十年も専業主婦が務まったんだろうなあ、と、わたしはすごく浅いところで考えていました。

でも、どうやら違っていたみたいです。

母は専業主婦でいながら、常に何らかの形で外の社会と接点を持って生きてきたのです。そして、今もスポーツジムに通うことで社会との接点を保つようにしているということがわかりました。

 

どんな境遇にあっても、やっぱり人が生きていく上で、社会に属しているという感覚というのは大事なものなんですね。

 

わたしはこの半年間あるがままに「家族以外の誰とも話さない」「家のほかに居場所がない」生活を送ってきました。思えば60代後半の母の方がよほど社会的な生活をしていたわけですが、それは長年専業主婦として生きてきた経験の賜だと思われます。

経験の浅い人間が何の考えもなしにやっていると、専業主婦はあっという間に孤立するのです。

孤立するというのは怖いことです。それは、わたしも身をもって知りました。

今後はちゃんと孤立しないように考えて行動しようと思っています。

 

そんな折、先週受けた採用面接の結果が出て、働くことが決まりました。

早速来週から出勤予定です。

時給は安いし、大学で学んだ知識も資格も要らないアルバイトです。以前のわたしなら決して選ばなかった仕事だと思います。

だけど、仕事を「自己実現」とかではなく「社会との接点」の一つとして捉えてみると、そこは非常に有意義な所属先のように思えました。

家庭や自分の生活を優先しながら好きなときだけ関わることができる仕事なので、そこにはわたしと同じように「自分にとって大事なもの」を優先しながら働く人たちが集まっています。

ずっと昔から、そういう働き方の人たちの力で成長してきた会社なので、会社側もアルバイトに対しては「会社のことを第一にして働くこと」なんかを求めたりはしません。

そういうところが、以前まで働いてきた会社と根本的に違っていると感じました。

働いてみるといろんなことがあると思いますが、良いこと悪いこと全部含めて楽しみです。

 

さて、最後に母の所属先のスポーツジムについてですが、明日から営業を再開する見込みとのことなのでひと安心です。

震災というのは、直接的な被害はなくとも人の生活に少なからず影響を与えるものですね。

人命や財産の確保がまず第一ではありますが、人間関係や所属する社会という目に見えない財産についてもきちんと気を配っていく必要があるんだろうなと思いました。