あてもなく

誰かへの手紙



「毎日自分が作ったごはん食べたくない」という感覚について

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はてなブックマークで見かけた記事より。

togetter.com

togetterにまとめられているのは共感の声ばかりだし、ブコメも「わかる」という意見が多かったこの記事ですが、これはわたしにはちょっとわかんなかったなー、と。

まず第一に、家族と同じ食卓に着いて自分だけ違うものを食べるのはちょっとメッセージ性が強すぎる気がします。「お母さん、どうしたの!?」と心配されるし、ウチでやったらかなり問題にされそうです。

それに、そうやってわたしだけが勝手していたら、そのうち家族も勝手にカップラーメン食べるようになっちゃうかもしれない。

そうなったときに、「お母さんはいいけどあなたたちはダメ」っていう理屈を通せる自信がない。わたし、それほど豪腕母じゃないので。

だけどそれ以前に、せっかく頑張って作ったご飯なんだから自分も食べたいという気持ちが強いですね。

自分が食べるからこそ、おいしく作ろうという気にもなれるというものです。

 

でも、この感覚と近いのかなと思うことがひとつだけあります。

社食があるパート先で働いていた時は、子供にはお弁当を作って持たせていたけれど、自分の分のお弁当は作らないで社食のごはんを食べていました。

夫や子供にお弁当を持たせている同僚はほかにもたくさんいて、彼女らの多くは、家族のお弁当を作るついでに自分のお弁当も作って毎回持ってきていましたが、わたしは自分で自分のお弁当を食べるのがイヤでした。

お弁当を作る手間は2つも3つも変わらないし、お弁当なら材料費もおそらく100円未満で済む一方、社食は1食500円前後だから、節約を考えると絶対お弁当の勝ち。

味も、まあ社食ですからこんなもんですよねという感じ。

だけど、お昼ぐらいは自分で作るのではなく、お金払って食べるご飯がいいなと思ったのでした。

わたしのような人はパート仲間の中では少数派だったので、上記のような「夕飯に自分だけ違うものを食べるお母さん」っていうのももしかしたら少数派なのかもしれず。

少数派だからこそ、局地的にたくさんの共感の声が集まったのかもしれません。

 

改めて考えてみても、個人的には「自分が作ったごはん食べたくない」と思ったことはない気がします。

食事の準備を毎日毎日やっていると、さすがに「今日はごはんを作りたくない」という感覚にはちょくちょく襲われますが、それならば家族みんなで外食をするか、諦めて作って家で食べるかの二択であって、家族の分だけ作って自分はインスタントものを食べるというのは却って面倒です。だから、やっぱり「今日はごはん作りたくない」と「自分が作ったごはん食べたくない」とは違う感情な気がします。

 

もしかしたら、わたしは自分の作る料理には飽きていないのかもしれません。それはきっと良い意味じゃなくて悪い意味で。

料理は嫌いではないけど、絶対上手じゃないから、毎回「出たとこ勝負」みたいな感じで作っています。同じように作っているようで、毎回味にバラつきがあって常に失敗と成功が隣り合わせ。だから、自分で食べるところまで責任を持って初めて任務完了と思っているところがあります。

 

同じように家族の食を担っている人の間でも、これだけ感覚が違うことってあるんだなあと興味深いお話でした。