あてもなく

誰かへの手紙



公開された日報が読み物として面白い件 よまれるあてもない文章の面白さについて

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Twitterを見ていたら、昨晩辺りから続々流れてくるのが「陸上自衛隊のイラク復興支援の際の日報が面白い」という話。

まとめにもなってますね。

togetter.com

実際の日報はすべてPDF化されています。ちょっと自分で探して読んでみるほどのことはないので、わたしは拡散されているものを楽しむだけにしたいと思います。

www.asahi.com

いろいろ読んだけど、私的ナンバーワンはこちら。

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鬼瓦少佐のくだりが大変味わい深い。

もちろん、みんなで見て面白がるために公開されたわけではなくて、目的や意義、公開に至った経緯も含め、難しい事情はたくさんあるわけですが。

 

読んで一番感じたのは、文章を書くことを本業としない人たちの素朴な文章のあつまりというのはとても味わい深いものだということです。

素人の文章といえば学校の文集などがありますが、学校の授業や課題で書かされる作文というのは先生の目に触れ、評価され、みんなに配られることが予め決まった状態で書かれることが殆どなので、それだと書き手の素直な気持ちは殻に覆われてしまうし、同時に文章の素朴な味わいがが失われてしまっています。

日常作文であれば、より素直により素朴に書かれている方が評価が高かったりするんですけど、そういうのって一回読み手の視線を意識し始めてしまうともう無理ですよね。

「プロの人がプロの技術を使ってあえてそのように書く」ぐらいでないと再現不能だと思われます。

 

その点、この日報は「一応記録しておくけど、時期が過ぎれば廃棄される」という前提で書かれているためこれほど素朴で味わい深い仕上がりになっているんですよね。あとは、書き手の皆さんの語彙力や言葉のセンス、教養に感服します。

今後、こういった日報の類が一般に公開されることが当たり前になってしまったら、こんなふうな筆致で書かれることも無くなってしまうかもしれないですね。もっと広く一般に「読み手」がいることが意識された文章になってしまうんじゃないでしょうか。

そう思うとちょっと残念な気がしてしまいます。

 

そういえば、一般人のブログを読むというのが娯楽として成立するのもまた、この「読まれない前提で書かれている文章」の面白さによるところが大きいのかもしれませんね。

ということであれば、わたしが日によってはネタがないなりに、それでもせっせと何らかの文章を書き続けていることにも意味があるような気がしてきます。

 

さすがにこのところ毎日グダグダなので「本当はもっと役に立つ情報を書かなければいけないのでは」みたいなことを考えていましたが、これもまた良しなのかなあ、なんて。

 

自衛隊の日報と一緒にしちゃ失礼ですかね。