あてもなく

誰かへの手紙



桜の咲く頃に 春のお散歩の思い出について

今週のお題「お花見」

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2009年4月8日撮影(たびのひと)

毎年、桜の花を見ては感動して、「この桜は忘れない」などと心に深く刻んだ気持ちになるのに、1年過ぎるともう「去年はどんな桜だったかな」とすっかり思い出せなくなっていたりします。

桜ってそんなあやふやなところがあるような気がしませんか。

まるで、目覚める少し前に見た夢みたい。

 

先日新幹線に乗って大阪へ向かう途中のこと、車窓から遠くに近くに見える山々は、生えている木の1本1本はまだ灰色なのに山全体で捉えるとふわっとピンクがかった霧のようになっているように見えました。

あの山は、春が来たら全部桜の山になるのだろうか。

見てみたいね、きっとすごいだろうね、などと子供と二人で話しながら眺めていました。

 

毎年見ては忘れる桜ですが、その中で特に思い出深い桜をひとつ挙げるとすれば、子供が小学校に入学した年の桜のことを思い出します。

今日トップに掲載したのがその日実際にわたしが撮った写真です。

写真の日付を見ると4月8日となっています。

まもなく見頃かとも言われている今年の桜から比べればずいぶん遅いですね。

でもたしかにその年は、入学式の日にちょうど桜の満開を迎えていたんです。

 

この写真の日は小学校に通い始めてまだ2日か3日目だったと思うのですが、午前授業で帰って家で昼食を済ませた後、あまりにもお天気が良いので子供を連れて近所の河原へ散歩に行きました。

河原へ向かう途中の公園ではチューリップ畑が花盛りでした。

綺麗ね~と眺めていたら、その公園で雑草刈りをしていたおばさんが、子供に菜の花を一束くれました。

 

そのあと桜並木のある方へ向かいました。

奇跡のように暖かい日で、これ以上ないお花見日和でしたが、それほど有名な桜のスポットではなかったので、近所の人がちらほら散歩しているぐらいでした。

 

桜は満開を過ぎて少し散り始めていました。

地面には桜の花びらがつもりはじめていて、子供はその地面に落ちた桜の花びらを拾い集めては自分の手から桜吹雪を舞い散らす遊びに夢中になりました。

4~5枚ほどの花びらを黙々と、拾っては投げ拾っては投げ、をいつまでも繰り返しています。

そんな子供の姿をカメラに収めていたら、通りすがりのおじさんが近づいてきて、シャッターを押してあげるからそこに並んでと声をかけてくれました。

 

菜の花をくれたおばさんも、写真を撮ってくれたおじさんも、

「かわいいお子さんですね」

と声をかけてくれました。

そして、わたしたちのことを「仲良しの親子」と言ってくれました。

 

小学校に入学するまでの育児の日々は大変なことばかりで、当時のわたしはどちらかというと子供のことを怒っていることが多くて、全く優しいお母さんではありませんでした。

なんとか小学校には入学したけれど、安心するどころか、ますます不安に思えて仕方なかった頃でもありました。

だから、よその人から見てうちの子供が「かわいい」と、わたしたち親子が「仲良し」と、そんなふうに言ってもらえるとは思ってもみなくてちょっと驚いたのでした。

 

今久しぶりにその時の写真を見返してみると、子供はめちゃくちゃ可愛いし、二人で写っている写真は仲良しの親子そのものです。

 

当時は、育児をしている自分に全然自信がなくて、自分が子供をちゃんと育てられているとは全く思えてなかったけど、振り返ってみればあの頃はあの頃でそれなりに頑張ってたし、ちゃんと子供のことも可愛がれてたのかもしれない…。

それは、その時ほんの少し触れ合っただけの人々には伝わっていたんだなと思うと、いまさらながら勇気づけらるような気がします。

 

あの日のお散歩がとても楽しかったので、それからしばらく毎年桜の咲く頃になると同じようなお散歩日和がやってくるタイミングを見計らっていましたが、あんな風に都合よく気候やスケジュールの条件が揃うことはありませんでした。

そうこうしているうちに新しい道路ができることになり、チューリップ畑や河原の桜並木自体がなくなってしまいました。

タイミングも、知らない人とのふれあいも、今思えば奇跡のようなめぐり合わせだったんですね。

 

そんな子供ももうすぐ高校生になります。

相変わらずぶつかることもありますが、子供の成長につれてわたしも昔よりは母親としてしっかりしてきたようにも思えます。

 

これからの日々も、胸張っていきたいと思います。