このまとめのタイトルをパッと見たとき、最初に思ったのが、ナチュラルに「お米なんか冷凍するっけ?」ってことでした。
よく読んで、やっと「ご飯」のことを言ってるんだと悟りました。
わたしにとってはそのぐらい、炊いたご飯のことを米と呼ばれるのには違和感があります。
英語では、調理前だろうが調理後だろうが米は「rice」だけれど、日本語だと調理前は「米」、調理後は「飯」と呼び分ける。
それは、主食としての米飯が日本人の生活において重要なポイントだからだ。
という話を聞いたことがあり、わたしはその説でとても納得していたのですが、その感覚自体が変化してきたということなのでしょうか?
とにかく、わたしは「米」って呼ばれるとそれだけで不味そうに感じてしまい、冷凍ご飯が不味いかどうかの議論はどうでも良くなってしまいました。
ご飯のことを米と呼ぶのを聞いてモヤッとするのはこれが初めてではなく、先日はテレビのバラエティ番組でアナウンサーが白いご飯のことを「白米」と呼んでいるのを見ました。その時もとても気になって仕方なかったのですが、アナウンサーまでそう呼ぶのだから、もはや「間違い」とまでは言えないんだろうな、という感想です。
さて、せっかく気になったので、ご飯を米と呼ぶ理由についてもう少し考察してみます。
「ご飯」は食事一般を指す言葉だ
「炊いた米はご飯だ」派のわたしにとっても、実は「ご飯」という言葉はちょっと使いづらさがあるよな、と思うことがあります。
「ご飯」という言葉は食事一般を指す用途にも使われます。
「今日のご飯はパスタだよ」とか普通に使っちゃいますものね。
麺やパンではなくご飯が食べたいと強調して伝えたいときに、「今日のご飯はご飯がいい」は、まあ文脈では理解できるけどなんか気持ち悪い。
そこは「今日のご飯は米がいい」と使い分けたくなる気持ちもわかります。
お酒の席など、炭水化物の主食が出てこない食事の場で、もうだいぶお腹いっぱいなのに、締めにおにぎりかお茶漬けをお腹に入れたい時の「ああ、米食いたい」発言。これもわかります。
この場面で「ご飯食べたい」では、「(食事という意味でのご飯なら)もう十分食べたのでは」というツッコミを受けてしまいそうで微妙です。
このように、数ある主食の中からあえて米飯を特定したいときや、食事が足りている状況で更に米飯を求める場合に、「ご飯」を「米」と呼ぶのは意味が通りやすくて便利です。
そんな慣例が積み上がった結果、特別な状況でなくとも炊かれたご飯のことを「米」と呼ぶことが一般的に行われるようになってきたのではないでしょうか。
多分これからもご飯のことを「米」と呼ぶのを聞く機会は増えていくと思います。
それらにいちいち注意したり異議を唱えたりして面倒な人になりたくはないけれど、心の中では毎回モヤッとするんだろうなー。
家族の食の好みについて
「米」という呼び方のせいで本題が吹っ飛びましたが、上記まとめ記事に対しての感想も一応書いておきましょう。
もし自分が、夫から「冷凍ご飯がものすごく苦手なんだ」と打ち明けられたら、もう夫には冷凍ご飯は出さないようにするかな。
ご飯を無駄にせず、かつ冷凍にもせずに済ませる工夫っていろいろあると思うんですけど、その辺すっ飛ばして「無視する」は良くないな。
自分自身が食に対してそれほど神経質でない人(わたしもです)にとって、繊細な好みががある人のご意見って、まず「面倒!」って気持ちが先に立ってしまって素直に聞き入れづらかったりするものなのですが、言ってる本人にとってはわがままというより切実なお願いだったりします。
「めんどくせーな、自分で作れや」とかケチなこと言って家族の幸福度を下げるよりは、出来る範囲で合わせてあげたほうがずっと毎日楽しいのにな。
それも主婦の仕事じゃない?って思うんですけどね。