あてもなく

誰かへの手紙

「イメージ」の話 つづき

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ミスの件からは立ち直りました。

失敗が多い分、立ち直りも早いのです。

「こいつ反省してないんじゃないか」ぐらいに立ち直りが早いわたしですが、ただ反省すりゃいいってもんでもないということも、幾多の失敗を繰り返し学んだ結果です。

 

さて、昨日の続きの話。

わたしは人から言われる「イメージ」に昔からずうっと納得がいっておらず、昨日の話だけでは書き足りていないので、今日もやります。

 

わたしの外見は、地味な和風顔・地味な服・地味なメイク・中肉中背、と無難な要素で占められており、どこからどう見ても無害そうです。

その辺を歩いていると道を聞かれ、駅で電車を待っていると「この電車○○に停まりますか」と聞かれるのも日常茶飯事。観光地ではいろんな人から「写真撮ってください」と声をかけられカメラやスマホを渡されます。

たしかにわたしは真面目な性格であって、見境なく攻撃性を発揮するタイプではないので見ず知らずの人にも親切です。だから、その意味では人選は間違ってないと思います。

ただ、通りすがりの他人と違って、ある程度固定された人間関係の中にいながらわたしのこと「怒らなさそう」とか言ってくるのは違うと思うんです。いくらおとなしそうな顔をしていても、わたしだって当然喜びも悲しみも怒りもも人並みには感じ取っているんですよ。

 

「今日は朝出かける前に子供と大喧嘩してしまった」なんて言っても、「えー、お子さんとか絶対怒ったりしなさそうなのに」と言われてしまったり。


職場では、淡々と従順に仕事をしている(ように見られる)ので、傍からは、わたしが気が弱いあまり逆らえずに余計な仕事を理不尽に押し付けられてるように見えてしまうようで、別の声のデカイ人から「ちゃんと言うこと言わないと、なんでもかんでもやらされるよ!」とのご忠告をいただくこともありました。

(わたしとしては別にそれほど大変な仕事でもないから普通にやってるだけ)

ほかには、

決まって「(血液型は)A型だよね?」と言われる。いや、わたしB型です。

「お酒とか飲めなさそう」と言われるけど、ほんとはもう毎日明るいうちから「あー、ビール飲みてー!」と思ってるんだよね。

クルマでどこそこ行ったなんて話をすると、「え、運転できるの?意外!」

ゲームの話に乗ったら「ゲームなんかするんですか!?」

一方で、お裁縫はほとんどできないし掃除は苦手などと言うとそれも「意外」なんだそうです。

 

整理すると、結構な確率で「イメージ」は当たってないわけです。

 

それでも、ある一定の「イメージで判断する人」は懲りずにわたしに「イメージ」を提示してくる。それはどうしてなんだろう?

 

その答えとして考えられるのは、

「人を簡単な言葉で定義してパッケージ化してしまえば安心だから」

ということです。

 

あの人は真面目でおとなしいから大丈夫

あの人は明るくておしゃれだから仲良くしたい

あの人は下品でうるさいからできるだけ避けよう

 

そうやって棚を整理してしまえば、複雑な人間関係の中でも自分がどう振舞うべきかがわかりやすく見えて安心です。 

 

だけど、肝心なその「イメージ」が本当に合っているかはわからない。(むしろ結構な割合で外れている)

別に腹の中で思ってる分には勝手だけど、それをわざわざ当の本人に投げかける、その自信はどこから来るのですか?と問い詰めてみたい。

 わたし以外の人となら、その「イメージ」とやらは大きく外れることはないんでしょうか?

いや、それ以前に、顔だけ見て「お酒強そうだよね」とか言われがちな人がいたとして、それが実際の中身と合ってるにせよ違ってるにせよそれはそれで嫌なんじゃないかと思うんですよ。

 

 つまり、あたりはずれ度外視しても、人を「イメージ」で判断してかかること、それを無邪気に口にすることってわりと失礼なことだと思うんですよね。

 

だからといって、そういう人に「失礼だゾ」と注意をしてまわったりするつもりもありませんが。

ただ、自分は絶対に人に「あなたって○○な人だよね」なんて言ったりしないし、人からどんな風に言われても、そのイメージに振り回されることなくこれからも自分らしくやっていきたいと思います。