あてもなく

誰かへの手紙

手間ひまをかけることだけが愛情ではないということを多くの人はもう知ってると思う

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このところ、こういう話題がブクマに上がっているのを立て続けに見ました。

togetter.com

 

この手のお話はたくさんネット上に溢れているので最近は開きもしないのですが、「ミシンを否定し手縫いを推奨する」タイプの敵キャラは初めて見たのでちょっと興味を惹かれて読んでしまいました。

 

内容は、

「子供の学校の家庭科の先生は『ミシンなんか使ったらお母さんの愛情がない』とか言ってほとんどミシンを教えない。制作物の殆どを手縫いで作らせる。生産性が低すぎるし考え方が間違っている。もう学校で家庭科なんか教えないでほしい」

というものです。

 

でも、これってホントかな~? と、つい思ってしまったんですが、どうでしょうか。

例えば、よく手づくり推奨されることでおなじみの幼稚園・保育園の手提げバッグなどで考えてみると、これはある程度耐久性が必要なものなので丈夫な布を使って作る必要があります。耐久性のある丈夫な布は、手縫いの針なんかでは縫えないと思うんですよ。

もしどうしても手で縫おうと思ったら、それ相応に薄くて柔らかい布を使うことになりますが、そんな手で縫える程度の布で作ったバッグを通園などというハードな用途に使うとすぐに傷んでしまうはずなので、それでは「愛情」どころじゃないと思うのです。

いくらなんでも、そんなことを知らないで家庭科の先生をやれるはずがないと思うのですが。本当だとしたら、その先生は常識がなさすぎだし、低い確率で発生しているハズレ物件に運悪く当たってしまっただけなのかなと思います。

 

例えばですけど、家庭科の先生が言った、という体でもっとリアルに敵キャラを作るのであれば、

「ミシンを使えないと、子供に手づくりの通園バッグを作ってあげられないよ。手づくりじゃなきゃ子供が可哀想だよ」

って言った、ぐらいがいいかなと思います。

これでも、もう十分すぎるぐらい家庭科の先生へのヘイトはあつめられると思います。

 

次。

togetter.com

 

こちらがまさにその、

「手づくりじゃないと愛情がないという風潮が親(母親)への呪縛になっている」

という話です。

集まっている意見はすべて「手づくりじゃないと愛情がないという風潮は間違っている」という意見です。

 

それでふと思ったんですが。

「手づくりしなさい」と言ってくる敵はネットの外のどこかにいる顔が見えない誰か。そして、ネット上ではそれに対する反対意見しか集まらないという状況。

 

本当にそれは、実態のある呪いなのかしら。

......実態がないから「呪い」って言うのかな。

 

個人的に、わたしは大変不器用なのでバッグを手づくりしたことはありませんし、ミシンも持っていません。

だけど、それが良くないことだとか恥ずかしいとか、感じることもありませんでした。

たしかに、子供の道具を揃えるにあたっては、一番ニーズに合うのは手づくりなのかなあとは思いましたが、だからといって強いられているとも感じませんでした。

市販でも気に入るのがあればそれでよかったのですが、結局、あまり子供の趣味に合うものがなかったので、ヤフオクを利用しました。

オークションでハンドメイドが得意な方が出品されている手作り品を落札したのですが、却って市販品で揃えるよりも安く済んだ気がするので、ハンドメイドで探してよかったなと思いました。

 

入園予定の幼稚園や保育園から細かいサイズ指定をされバッグを用意するように指示されれば、確かに手づくりしか道はないようにも思えます。

だけど、それを「呪いだ」と受け取るのは、もう受け取る側の気持ち一つのような気はするのですがどうでしょう。

 

もっとずっと昔には、親の手づくり品よりも、市販品を買ってもらえる子の方がうらやましがられる時代がありました。

いつも親の手づくりの服ばかり着せられてるけど、たまにはお店で買った服を着てみたい!なんて。そういう時代。

お菓子にしたってそうですね。家に来た友達に、お母さんが手作りした素朴なお菓子を出すのはちょっと恥ずかしくて、市販のお菓子を出せるおうちの方がちょっとハイソな感じがしたものです。

 

もしかしたら、園からの道具類の指定って、そんな時代に、親に経済的な負担をかけさせない配慮として「手づくりでもいいですよ」と勧めていたときの名残りなのかもしれません。

 

文明が進み工業が発達したことによって、今では市販品が安価でラクに手に入るようになりました。一方で、両親ともに働く家庭が増えたことで「時間をかける」ことがお金をかけるよりも贅沢なことになってしまったのですね。

そうして、相対的に「手づくり」の価値が上がってしまった。

 

きっと手づくりが当たり前だった昔の親は、子供が欲しがる市販のアイテムを買ってやれないことを申し訳なく思っていたのに違いないのです。

そうして、子供は子供で、本当はカッコいい市販品のほうが良かったけど、お金が無いなりに工夫して手づくりで持ち物を用意してくれることを「親の愛情」と前向きに捉えたのではないでしょうか。

 

それを今の世の中に置き換えれば、

時間をかけて手づくりができなくても、子供にとって使いやすく丈夫な品物を知恵を絞って買い与えるということだって「親の愛情」

ということになるのではないかと思います。

 

きっと誰も親を責めようとは思っていないんじゃないかなあ。

余計な心苦しさにとらわれず、「呪いだ」などと怒ったりしないで、もっと軽やかに歩いていけたらいいのになあ。

 

と、そんなことを思いました。