あてもなく

誰かへの手紙

わたしのプロフィール 古い足跡をたどってみる 前編

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早いもので、ブログを始めて丸2ヶ月が過ぎました。

目標は「毎日書き続けること」というただそれだけで始めましたが、アクセスをしてくださるのみならず、☆を送ってくださる方、読者になってくださる方、コメントをくださる方に励まされ、楽しく書き続けることができました。

投稿数も60を超えてきて、ちょっとこの辺でプロフィールみたいなのを書いてみたいと思います。

 

住んでた場所と住んでる場所

1975年大阪生まれ。

生後すぐから4歳半までは父の仕事の都合で三重県に住んでいました。

その後転勤で、両親の地元でもある大阪市北区へ引っ越し。妹が程なく生まれ、中学卒業までをその地で過ごしました。

わたしの中学卒業・高校進学を機に、大阪府下の郊外へより良い住宅環境を求めて移住。23歳で結婚するまでを過ごしました。

結婚してからは神奈川県在住です。

 

学歴

大学卒です。文学部で国文学を専攻していました。

小中高と、お勉強が出来るタイプで通ってきて、真面目な優等生って感じでやってきましたが、大学に入って急に、どうすれば今までみたいに「ちゃんとしてる」風に出来るのかやり方がわからなくなって迷走します。

自分は何者で、何がしたいのか。

まあ、今考えてみればその年代にありがちなことかもしれませんが。

「教科書を読んで、問題を解く練習をして、テストでそのとおりやる」というのが得意だったわたしは大学受験までは優秀でいられたのですが、大学に行ったとたん何をすればいいのかわからなくなりました。

本を読んだり、自分でちょっとお話を作って書いたりするのが好き、という程度で国文学専攻に進んだのも正直言って動機が弱い。

でも、ありがちですが「自分は何者でもない」ということを思い知るために大学に行ったのかもしれないですね。大学で学んだ先生方の言葉も、今になって良いこと言ってたなーとか思い出したりしますし、友達もできました。

卒論はひどい出来で自分の中の最大の汚点だと今も思っています。なんで卒業させてもらえたかわからないけど、卒業できてよかったです。

こんな娘には大学はもったいなかったと思うけど、通わせてくれた両親には感謝しています。

 

職歴(前半戦)

大学生時代のアルバイトは主に家庭教師が中心でしたが、会社の事務のお手伝いをしたり、デパートやケーキ屋さんの店頭に立ったこともあります。

家庭教師は近所の中高生のお勉強にただ付き合うだけ、といった感じ。それでも保護者や生徒から結構感謝されるので不思議な仕事だなと思っていました。会社の事務や店員の仕事も大体すぐ覚えられて普通にやっただけで「大型ルーキーが入った!」などと喜ばれるので、社会というところは、大学よりよほど結果が出しやすいところだなと思ってました。

でも、今考えると自分というのはつくづく使用人向きなんだろうなと思うのです。「あれしなさい、これしなさい」というレールが敷かれて初めてちゃんと動ける。

だからかどうかはわからないけれど、本番の「就活」ではさんざんな結果になります。

大小様々な会社にエントリーしますがことごとく落ちます。最後は、また親頼み。父の知り合いの紹介で、大阪の誰もが知ってる超大企業グループの中の、小さな小さな子会社という微妙な安定企業にねじ込んでもらいました。世話のかかる娘で申し訳ない。

 

わたしはアルバイトの経験から自分のことを「社会の即戦力だ」と思い込んでいました。今もわりとその自己評価は変わらないのですが、不思議なことに社会というところは、いざ使用人タイプの即戦力が来たらめちゃくちゃ重宝がるくせに、出会いの段階ではその能力を軽視するところがあるなと思います。パートの採用に至ってもそうなので、本当に摩訶不思議だなと思います。

 

結婚したときのこと

結婚したのは1999年。世紀末とはよく言ったもので、やっぱり今とは一つ前の時代の終わりみたいな時期だったように思います。過渡期ではあるものの、まだ女性は結婚したら寿退職するというのが一般的でした。

わたしは結婚と同時に遠方に引っ越すことになりました。(というか相手が遠方にいたので結婚を急いだんですね)

親頼みで入れてもらった会社だったためあまりその地位に思い入れも無く、仕事をやめることに躊躇はありませんでした。コネで入った割にはお役立ちルーキーだったため、周囲からはかわいがってもらっていました。思えば楽しい職場でした。

もう今はそんな仕事無いんだろうな。今思えば手放すにはかなり惜しい条件でした。今はあんな仕事、みんな非正規だよ。(わたしが辞めた後は派遣社員を1人入れたそうです)

ITバブルという時期でもあって、夫となった人は忙しくかつ収入も安定していたので、わたしが家庭に入って彼を支えることが最善と思いました。でも子供ができるまでは昼間に時間があったので、結婚してから何ヶ月か経って、派遣で時短の仕事をするようになりました。

 

さてさて。

だいたいいつも2000字を目処にブログを締めることにしていますので、今日は一旦この辺にしておきます。続きはまた後日。

 

後編はこちら。

www.atemonaku.com